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前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その22)捲土重来を期す

       前川喜平〔(まえかわ・きへい)文部科学省初等中等教育企画課長〕

 義務教育費国庫負担金を税源移譲のために削減するのは間違っている。
 去る11月30日、政府と与党は「三位一体の改革について」合意し、3兆円の税源移譲を実現するために、義務教育費国庫負担金の負担率を3分の1とし、8500億円の減額を行うことを決定した。「現行の負担率2分の1の国庫負担制度は優れた保障方法であり、今後も維持されるべきである」とした10月26日の中教審答申に明らかに反する決定である。政府・与党は、昨年11月26日に義務教育費の問題については「中央教育審議会において結論を得る」と決めておきながら、その中教審の結論に反する決定をしたのだ。約束を反故にした責任は大きい。極めて残念なことである。
 今回の決定では、「定率負担」の仕組みは残ったので、国庫負担金と地方財源(裏負担)との一定割合の組合せによって義務教育給与費の全額が保障される制度の枠組みは維持された。この点は不幸中の幸いと言ってよい。また、この合意においては「義務教育費国庫負担制度を堅持する」との文言が明示された。これも一つの成果と言ってよい。この文言は、少なくとも義務教育費国庫負担金をこれ以上削減しようとする策謀を阻む上では、一定の力を持つであろう。
 しかし、今回の削減が義務教育の機会均等や水準確保に悪影響を及ぼすことは間違いない。負担率が下がることによって、国庫負担金の義務教育給与費総額を保障する力が確実に弱まるからである。それは、次のようなメカニズムによって起こる。
 ある県で一般財源が不足し30億円分節減せざるを得なくなったとする。歳出削減の選択肢は老人福祉と義務教育の2つしかなく、国庫負担率は老人福祉事業が5分の2、義務教育が2分の1だと仮定しよう。一般財源30億円を節減するためには、老人福祉なら50億円分、義務教育なら60億円の事業を減らさなければならない。それなら老人福祉の方を減らそうということになる。
 しかし、義務教育費の負担率が3分の1になると、一般財源30億円を節減するためには義務教育費を45億円削減すれば済むことになる。それなら義務教育の方を減らそうということになる。つまり、負担率が下がれば下がるほど、義務教育費を減らして一般財源を浮かそうとする誘因は高まるのである。
 このような削減の誘因が働かないようにするなら、負担率100%つまり全額負担にするしかない。義務教育は全国どこにおいても一定水準が保障されなければならないのだから、削減誘因をゼロにするため、全額国庫負担こそが本来あるべき姿なのである。義務教育のように地方に義務づけられた基礎サービスを全額国庫負担のもとに置くことは、地方交付税改革を進め、地方財政の真の自立を確立するためにも必要だということは、前回(その21)も指摘したとおりである。

 三位一体の改革のうち、地方交付税削減を除く「二位」については、11月30日の政府・与党合意で政治決着がつけられた。3兆円の税源移譲は実現するだろう。しかし、これは「改革」と呼べるものだろうか?税源移譲に回すために削減されることになった負担金・補助金は、本当に削減するにふさわしいものだろうか。率直に言って、地方財政の自立につながる改革とは到底考えられない。
 第一に、削減されたのは義務的事業の負担金ばかりである。
 義務教育費国庫負担金は、平成15年度以降の累計で1兆3000億円削減されることになる。児童福祉関係は、平成16年度の公立保育所負担金1700億円に、今回削減されることになった児童扶養手当給付費負担金1800億円、児童手当負担金1600億円を加えて5000億円余りの削減になる。厚生労働省関係ではこのほか平成17年度に国民健康保険負担金で7000億円が削減されている。以上は全部「補助金」ではなく「負担金」だ。これらの負担金だけで2兆5000億円を超える。
 つまり、地方に回されたのは義務的事業の財源(負担金)ばかりで、地方の裁量で内容や規模を決められる事業の財源(補助金)ではないのだ。これでは、地方財政の自立どころか、地方財政の硬直化を招くことは必至である。
 しかし、負担率の引き下げによってこれらの分野における歳出削減誘因は高まるから、自治体の中には、背に腹は替えられず、義務的事業の歳出を減らすところも出てくるだろう。そうなれば、義務教育のような基礎サービスにおいて、ナショナルス・タンダードないしナショナル・ミニマムの水準が維持できなくなり、地域間格差が拡大することになる。
 第二に、子どものための財源ばかりが削減対象になっている。
 教育と児童福祉(保育所、児童扶養手当、児童手当など)だけで、削減額は約2兆円に達する。子どものための財源ばかりが地方に回されることになる。これでは、地方財政が逼迫すればするほど、教育や子育ての事業ばかりが縮小されることになる。高齢者と子どもとの間で予算配分の偏りが生じるだろう。
 第三に、公共事業の補助金が全く含まれていない。
 教育や福祉に関する施設整備費が税源移譲対象とされたことが評価されているが、公共事業の補助金は依然として1円も税源移譲に回されてはいない。最も地方の自主性が発揮されやすい分野が完全に外されている。これでは、地方財政の裁量性が高まるはずがないのである。
 全国知事会会長である麻生福岡県知事は、いち早く前日29日夜の会見で、今回の決定を「画期的なことだ」と積極的に評価する発言をしている(11月30日読売新聞)。義務教育費国庫負担金の削減も「大きな前進」だという(同日日本経済新聞)。しかし、このような内容の財源を地方に移譲しても、到底「改革」の名に値するものではないことは、上に述べたとおりである。麻生知事がこのような「改革」を画期的とか大きな前進といった最大級の賛辞で評する気持ちが全く理解できない。誰かに振り付けられた台詞を読み上げただけなのではないかと疑いたくなる。
 石原東京都知事は、この三位一体改革の全体像について「よくボタンの掛け違いと言いますけどね、それよりもっと深刻で、私は出だしから間違っていると思う」「基本的に国がどこまでやるのか、地方がどこまでやるのかという基本論が全く行われずに、金目の問題が出てきて結局数合わせにしかならなかった」と評し、「点数をつけるなら?」と記者に訊かれて「点数のつけようがないね。答案になってないと思う。僕は」と答えている(12月3日東京新聞)。
 片山鳥取県知事は、「義務教育費国庫負担金を削減することとしたのは全く不見識だ。この点では、削減を主張していた地方6団体も政府と同罪だ」と述べ、「法律上確実に保障されてきた負担金の削減によって、財政力の弱い自治体の義務教育財源を不安定にするだけだ。実のあるリストラにつながる他の多くの補助金をさしおいて義務教育費を削減することは愚策でしかない」と断じている(12月3日読売新聞)。
 この石原知事や片山知事の考えの方が、理に適い、常識に適う、まっとうな考えだと思う。

 「三位一体改革が決着」(11月30日日本経済新聞)、「三位一体改革大筋合意」(同日読売新聞)、「三位一体改革ようやく決着」(12月2日朝日新聞)。これらの見出しは間違っている。地方交付税削減については何も決まっていないのだから、「三位」が決着したと言えないはずだ。
 11月30日の政府・与党合意による政治決着は、最後の「一位」である交付税削減を除く「二位」についての決着でしかない。負担金削減と税源移譲が決まっただけで、本丸の交付税削減はこれから決まるのだ。国債発行額を30兆円に抑えるためには地方交付税を相当厳しく削減しなければならないはずだ。4.3兆円の削減を求める財務省。削減額を何とか地方6団体が納得する範囲内に収めたい総務省。両省間の厳しい攻防が今行われている。地方交付税の大幅削減は必至だろう。「第二地財ショック」と呼ぶか「三位一体ショック」と呼ぶか「交付税だまし討ちショック」と呼ぶか、何と呼ぶかはマスコミの勝手だが、自治体財政にとって極度に過酷な未来が待ち受けていることは確かだろう。一般財源総額が削減される中で、義務教育、公立保育所、児童扶養手当、児童手当、国民健康保険などの義務的負担がいっぺんにのしかかってくるのだ。自治体財政の硬直度は急激に高まるはずである。一般財源の逼迫と国庫負担率の引き下げによって義務教育費の削減圧力は格段に高まる。義務教育にとっても過酷な時代が待ちかまえている。交付税削減を予期しながら義務教育費国庫負担金削減の旗を振り続けてきた総務省の罪は深い。それに同調してきた知事・市町村長にも「こんなはずではなかった」などという言葉は許されない。自らの不明を自覚し、不徳を恥じ、真の地方分権のための財政改革についてもう一度深く考え直すべきである。

 来年度、義務教育費国庫負担金は負担率を3分の1に引き下げられ、8500億円の削減を強いられることになった。決まってしまったことを今さらあれこれ言っても仕方がない。我々は、「義務教育費全額国庫負担制度」の実現という理想を新たに掲げて、捲土重来を期するのみである。(つづく)


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