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前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(番外編2)奇兵隊の隊員について

                初等中等教育企画課専門官 三木忠一

 前回の番外編では、「奇兵隊、前へ!」の筆者であり奇兵隊の隊長である前川喜平について紹介があった。今回は、番外編の続きとして、奇兵隊隊長を慕う奇兵隊員のほんの一部を皆様にご紹介したい。
 財務課に榎本教育財政室長という人がいる。今回の中教審の一番の争点となった義務教育費国庫負担金の論点について、事務局資料の作成等を担当した人である。この人の日本の義務教育にかける熱意もただならぬものがある。私はこの人と仕事をして、社会人生活の中で初めて仕事中に涙が溢れて泣きそうになった。恥ずかしながら、室長と私のやりとりの一こまをここに描き、義務教育を守ろうとする榎本室長の紹介をしたい。
 それは、中央教育審議会第39・40回(10/12)で、中教審答申素案が議論された直後のことである。この部会では、答申素案中の義務教育の費用負担の在り方の部分にたくさんの意見が出された。要すれば、地方6団体からの推薦のあった石井委員(岡山県知事)は義務教育費国庫負担金を一般財源化すべきという意見を答申素案の要旨である第Ⅰ部の枠の中に両論併記的に盛り込むようにとの意見であり、それに対して、その他の多くの委員は、中教審の結論はこれまでの審議を反映し多数意見に基づいた一本化した結論を書くべきであり、そうしないと中教審が政府・与党から与えられた役目を果たしたことにならないという意見であった。そして、審議の後半、石井委員が、このような答申素案であれば、官邸との対応で文科省が苦労するのではないかという趣旨の意見を出された。この意見に対し、他の委員が猛反発し、答申が事務方の意向で書かれるのではなく、答申を出す責任者としての中教審委員の意見の大勢がきちんと反映されるべきであるとの声が噴出した。
 審議の大勢を占めた答申素案に対する意見のポイントは2つあったと思う。一つ目は、費用負担の枠の中の文章について、単に国庫負担制度を維持するという書き方ではなく、現行の2分の1の国庫負担制度を維持すべきだというように、負担率を明示し紛れのない文章にすべきだということ、2つ目は、費用負担の枠の外の文章の中で、8500億円の暫定的な扱いについての両論併記的な文章を削除すべきだということであった。
 前置きが長くなったが、この議論を踏まえた答申案を次回の中教審の審議に用意するに当たり、答申素案から答申案への修正点をどこにするのか、鳥居会長に指示を仰ぎに伺った時のことである。鳥居会長は、第39・40回の審議会の議論がきちんと答申案に反映されるよう、1/2の負担率の明示と両論併記部分の削除を事務局に指示された。この指示により、第41回に出す答申案の準備ができ、後は必要部数をコピーすれば会議を迎えられることとなる。
 この指示を後ろの席で承ったとき、榎本室長は、私に、「三木さん、この答申案で満足ですか。」と小さな声で尋ねられた。僕は、とっさに質問の趣旨がわからず、「まぁ、ええ」とだけ応えた。すると室長は、しみじみとこう言った。
 「2月から今まで半年以上中教審の事務局として一生懸命仕事をしてきましたけど、この答申案ではきちんと結論が書かれているので、これでよしとしましょうね、おつかれさま」
 僕は、目頭が熱くなって、「はい」とだけしか、応えられなかった。中教審で委員がそれぞれの意見をしっかりと出し合い議論を尽くし、その集約がきちんと図られた内容が答申案となろうとしていることに対して、室長が喜び、我々のこれまでの苦労も報われますねと僕に言ったことが、ようやくわかった。仕事に厳しく時には僕にはこわくも見える室長からのこの言葉は、意外でもあったが、これまでの仕事にかけた労力を背負った万感が込められている響きをもっていて、僕は胸にじんときた。

 前川課長や榎本室長の日頃の姿を見ていると、私の愛読書である司馬遼太郎の「坂の上の雲」の文章を思い出す。児玉源太郎参謀総長は、203高地がなかなか落ちないために、203高地を攻める軍の司令部に赴いた時の文章である。そこには、最前線から遠く離れて机上の作戦を作り日本兵の無益な殺生ばかりを繰り返していた参謀の一人に対して、児玉源太郎は、「国家は貴官を大学校に学ばせた。貴官の栄達のために学ばせたのではない」と言ったと後世に伝えられているとされている。
 私は、なぜか、前川課長や榎本室長をみていると、この児玉源太郎の言葉を思い出す。児玉に叱責を受けた現場を直視せず自分のポジションを大過なく過ごそうとしている参謀とは正反対に、自分の栄達を度外視して、日本の義務教育の未来のことを一心に案じて職を遂行しているように見えて仕方がないのだ。

 もう一人紹介したい。松岡勇雄事務官だ。彼は、前川初等中等教育企画課長のもとに、中央教育審議会の義務教育特別部会の事務局として設置された義務教育改革プロジェクトチームの一員である。
 中教審の合宿集中審議(6/18~19)は、委員の方にとっても長い審議で大変なご苦労をおかけした。同時に、その準備も膨大であった。この合宿集中審議の間、松岡事務官は、前日含め当日とほぼ完全に徹夜した。その徹夜二日目のことである。私が彼に少しの時間休むように言って、彼は30分くらい横になった。そして、彼にお願いする仕事があって、彼に声をかけると、彼は起きて、彼の目はうつろながらも、携帯電話で仕事相手の人に詳細に仕事の発注をした。電話を切って、しばらくして、電話先の人が来たときには、もう彼の目は焦点が定まっていて、先ほど電話で何をしゃべっていたか全く覚えてないという。しかし、彼の先ほどの電話は的確に数量等を指示していたので、松岡さんも私たちも彼に記憶がないのにとても驚いた。頭が寝ていてもちゃんと仕事ができた彼の姿に、当時我々は、彼の責任感を感じ、僕らももうひと頑張りしようと励まされた。

 教育、特に義務教育は、票にならない、権益が絡みにくいと言われる。子どもたちには投票権がないし、必要なお金の大部分は裁量性の乏しい人件費である。そして、義務教育の大部分は現場の教職員の日々の頑張りに支えられているので、国の出る幕はないように見える。しかし、現場ではどうにもならない、地域間格差による学校現場の条件整備への影響は国レベルの問題だ。私は、自分をさておいても義務教育を守るという人が、現場だけでなく、国レベルの政治、行政等にそれぞれ一定数以上いないと、社会経済状況により、義務教育が他の分野の犠牲にされる可能性がとても高いように思う。前川奇兵隊長や本日紹介した隊員は、みな、自分をさておき義務教育を第一に仕事に臨んでいる人たちのほんの一例である。
 以上の話は、多くの人に紹介するほどの話でないとも思った。もちろん、中教審の事務局の仕事をするのは我々の職務であり、それをちゃんと行うことは当然で、ましてや仕事が深夜に及ぶことも他の職業同様当然にあることだと思う。しかし、義務教育の今後について大きな意味をもつ答申に携わった者の中に、自分の出世や役所の権益のことを一顧だにせず、ひたすら日本全国の子どものことを想って仕事をしている人たちがいるということを省内に語り継ぎたいという思いもあって書いてみた。(つづく)


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