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前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その17)義務教育の地方分権とは何か

 義務教育費国庫負担金を、三位一体改革の補助金削減の対象にするのは間違っている。
 総務省は、義務教育費を税源移譲により一般財源化すれば、義務教育の地方分権が進むと言うが、そのような議論には根拠を見出しがたい。では、義務教育における真の地方分権とは何なのだろう。

 義務教育は誰のものか。義務教育は国民のものである。だから義務教育は主権者である国民による民主的統制のもとに置かれなければならない。義務教育に関する行財政は、学校、市町村、都道府県、国という4層構造になっている。したがって、義務教育に対する民主的統制もその4層構造の中で行われる。
 国の段階における統制は、国政選挙で国民により選ばれる国会議員、国会により選ばれる内閣総理大臣、内閣総理大臣により任命される文部科学大臣という順序で及んでいく。文部科学大臣は、民意を踏まえつつ、我が国の義務教育の向かうべき方向を設定し、国家戦略として義務教育の改革・充実策に取り組む。文部科学大臣が国民の意思に背くような教育政策を行えば、文部科学大臣の責任が問われ、その文部科学大臣を任命した内閣総理大臣の責任が問われ、その内閣総理大臣を指名した国会の責任が問われる。最終的には選挙によって国会の議席配分が変わることになる。
 しかし、このような国のレベルでの民主的統制には、一定の限界がある。基本的な制度、大綱的な基準、国家戦略の基づく全国共通の方針などを決め、全国的な教育投資の水準を設定し、必要な財源保障を行うことは国が担うべきことであるが、地方ごと、地域ごとの教育の在り方を決めるのは国ではない。また、国の行政機構はそれぞれ責任ある大臣のもとにあるが、国民からの距離はかなり遠いため、細かいところにまで民主的なコントロールを及ぼす仕組みとしては自ずから限界がある。
 都道府県、市町村と地域性が強まるにつれて、それぞれの地域の実情を反映することが容易になり、具体的な部分にまで民主的なコントロールが及ぶようになる。学校教育に対する民主的統制は、究極的には学校ごとの民主主義によって実現される。
 どのような問題をどのレベルの民主的統制にゆだねるかということは、今日地方分権を進める上で鍵となる課題である。学校の具体的な教育課程については、極力学校現場の裁量にゆだねることが必要であり、地域の学校制度については極力それぞれの地域の行政に任せることが重要である。国が行う教育行政はナショナル・スタンダードの設定、確実な財源保障、全国的な学校評価システムの構築など必要最小限にとどめ、ローカル・オプティマム(それぞれの地域における最適の状態)の実現はできる限り学校現場に近いところに移していくことが、義務教育を真に国民のものとする方途であろう。教育内容や教育方法については、ナショナル・スタンダードを満たすことを前提として、できる限り学校現場の判断に委ねていくことが望ましい。教育行財政に関する権限と責任は、基礎的自治体である市町村が主役になっていかなければならないだろう。しかし、義務教育においては、一人ひとりの国民の基本的人権である教育を受ける権利を、全国どこにあっても均等に保障しなければならない。そのための財源保障はどこまで行っても国の責任として残るはずである。

 義務教育の地方分権を考えるとき、この4層構造のどこからどこへ何をを移すのかが問題になる。
 義務教育の地方分権の目的は、住民や保護者の目に見えるところ、声の届くところで、子どもたちにどのような教育を行うかの意思決定が行われるようにしていこうということだ。だから、学校現場ができる限り多くの権限と責任を持つようにし、その意思決定に住民・保護者が参画する仕組みを作っていくことが何より大事である。後述する「コミュニティ・スクール」制度はそうした学校レベルの地方分権の最先端を行くものだ。
 しかし学校自身は自治体ではないから、住民から税金を徴収し住民自治に則って歳出歳入を決定できるわけではない。教育の内容・方法に関する権限・責任はできるだけ学校に持たせることが望ましいが、教育行財政に関する権限・責任は学校の設置者である市町村に持ってもらうべきである。実はこのことは、設置者管理主義・設置者負担主義の原則として現行法にも規定されている(学校教育法5条)。
 ところが、この原則があるにもかかわらず、現行の制度は市町村に十分責任ある地位を与えていないのだ。教職員の採用・人事・懲戒、教職員の給与、教職員の研修、教職員の定数、学級編制の基準設定など、どれをとっても実質的な権限は都道府県にある。その中心にあるのが「県費負担教職員制度」である。教職員に関する行財政は都道府県が握っており、設置者管理主義・設置者負担主義の原則に対して、ほぼそっくり例外にされてしまっているのだ。
 どうしてそうなっているのかというと、市町村は元来規模が小さく財政基盤も弱かったため、市町村に教職員給与の負担や教職員の採用・人事の責任を負わせてしまうと、十分な資質能力を持った教職員を必要な数だけ確保することが難しく、市町村間の格差も大きく開いてしまうおそれがあったからである。そうなると義務教育の機会均等が保障できない。そこで、市町村立学校でありながら、小・中学校の教職員の給与負担や人事権を都道府県が持つという現行制度になっているのだ。
 近年の地方分権改革の中で、国と地方の関係は大幅に見直されてきている。平成10年の地方分権推進計画や同年9月の中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」に基づいて、教育長の任命承認制の廃止(平成11年地教行法の改正。それまで都道府県の教育長の任命に際し文部大臣の承認が必要とされていた制度を廃止した。)など、大きな制度改正が行われてきている。
 「国・都道府県」から「市町村・学校」への権限・責任の移譲の必要性を唱えた平成10中教審答申は、都道府県と市町村の関係の見直しについて提言し、都道府県教育委員会による市町村教育長の任命承認権や小・中学校の組織編制に関する基準設定権の廃止として実現している。しかし、県費負担教職員制度についての見直しは行われておらず、教職員の人事、給与、研修などに関する都道府県と市町村との関係には、旧来のまま残されている部分が多いのである。
 中教審義務教育特別部会では、市町村への権限移譲を中心に義務教育の地方分権が議論された。課題は大きく3点あった。
 1点目は、小・中学校の教職員の人事権の移譲である。答申では、当面中核市などに人事権を移譲し、その後その他の市町村についても検討することになっている。
 2点目は、人事権を移譲する場合の給与負担の問題だ。人事権と給与負担は本来同一の主体が持つべきものだ。義務教育特別部会でも、人事権の移譲に伴って移譲されるべきものだという意見が強かった。
 3点目は、学級編制の権限移譲だ。市町村が独自に少人数学級を導入しようという動きにはすでに多くの事例があるが、導入にあたっては都道府県教育委員会と何らかの摩擦が生じているケースが多い。構造改革特区で進められている市町村費教員任用制度においても、多くの市町村が独自に教員を配置することによって少人数学級編制を行っている。特別部会では市町村に学級編制の権限をおろす方向で議論された。
 これらの論点のほかにも、例えば教職員旅費(現在は都道府県が負担)や教員研修(現在は指定都市と中核市まで降りている)などを市町村に移すかどうかという問題もある。また、市町村教育委員会の機能を強化するため、指導主事の配置促進など考えなければならない課題がある。いずれにせよ、義務教育に関する行財政の権限と責任は可能な限り市町村に移していくのが、今後の義務教育改革の明確な方向である。
 小・中学校の設置者である市町村の主体性を高めていくことこそ、義務教育の地方分権の重要課題なのだ。義務教育の財源を保障する国庫負担金を都道府県が何にでも使える金に変えることが義務教育の地方分権だなどというのは、借金返済資金が欲しい総務省による虚偽広告である。(つづく)
前川喜平〔(まえかわ・きへい)文部科学省初等中等教育企画課長〕


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