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前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その16)義務教育費国庫負担制度はなぜ必要なのか

 義務教育費国庫負担制度はなぜ必要なのか、改めて整理してみよう。

1.義務教育に対する国の責任
 義務教育は、ひとりひとりの個人の教育を受ける権利を保障するものであると同時に、国民として最低限必要な資質を培うものであり、国家・社会の基礎となる国民教育としての性格を有している。義務教育は、共通の言語、文化、規範意識などを一人一人の国民の身につけさせることにより、国民社会を一つの統合された社会として成立させる基盤となるとともに、すべての分野の職業生活や経済活動の基礎となる知識・能力を養うものであり、統一した国民経済の形成・発展に不可欠の基盤となるものであると言うことができる。
 したがって、義務教育においては、全国的に共通な最小限の教育内容が求められるとともに、いずれの地域においても必要な教育水準が確保されなければならない。こうした国民教育としての義務教育の教育内容・教育水準、すなわちナショナル・スタンダードを確保することは、各地方のみでなし得ることではなく、最終的には国が責任をもって行わなければならないことである。
 また、国は義務教育のナショナル・スタンダードを設定しその基盤整備を行うことを通じて、国家戦略としての義務教育政策を推進し、将来における国家・社会の発展を担う国民の資質・能力の向上を図るという責任を負っている。
 我が国の義務教育は、明治時代末期に六年間の義務教育への完全就学がほぼ達成されたが、このような基礎教育の普及がわが国の経済・社会の近代化の基礎となったことは、従来しばしば指摘されているところである。戦後さらに義務教育年限が九年に延長され、国民全体の教育水準の向上したことが、その後の高度経済成長における原動力となったことは広く認められている。
 今日における国家戦略としての義務教育政策の課題は、これまでの成長を支えてきた平均的な学力水準の高さを維持しつつ、新しい時代の担い手として、いかにして一人一人の個性や創造性を伸ばしていくかという点にある。基礎・基本の徹底を図りつつ、自ら問題を発見し解決していく力、生涯を通じた自己教育力、自ら学び、自ら考える力を培い、自らの力で新しい時代を切り拓いていけるような国民の育成を期さなければならない。そのために求められる教育内容・教育水準の在り方、それを支える教育条件整備や教育投資の在り方については、国の責任において不断の検証と改革を行っていくことが必要である。
 義務教育を経済学的な観点から人的資本形成として見た場合には、その効果は教育を受けた個人にとどまらず、社会全体に及ぶ外部経済性を持っていると言うことができる。また、その外部経済効果は、義務教育を行う市町村や都道府県という特定の地域に限定されるものではなく、国民経済の全体に寄与するものであると考えられる。わが国の急速な工業化や経済成長が、農村部から都市部への大量の人口移動を伴うものであったことは、その証しである。
 義務教育の無償制の必要性は、義務教育の持つ大きな外部経済性で説明できると考えられるが、義務教育に対する国による財源保障制度の必要性は、その外部経済性の波及する範囲が国民経済全体の広がりを持っていることで説明できる。すなわち、特定の市町村又は都道府県において、当該地域が享受する利益のみに対応して財政負担の規模を決定すると、その財政負担の規模は国民経済全体が享受する利益に比べて過少なものになってしまうであろう。
 諸外国においても、一般に義務教育に対しては国(連邦制国家においては州)が重要な責任を負っている。フランス、イタリアなどのヨーロッパ諸国や韓国、シンガポールなどの東アジア諸国では、教育課程の基準設定について国が責任を負うとともに、義務教育の教職員給与費を全額国庫負担する制度が採られている。学校教育に係る行財政について分権的な制度を採っているアメリカやイギリスにおいても、近年、教育水準の向上のため国が積極的な役割を果たすようになっており、中央政府や州政府が教育課程の基準を設定し、中央政府・州政府から地方への教育費支出も増加する傾向にある。イギリスでは2006年から義務教育費の全額を国庫負担することにしており、知識主導型経済における国際競争力の強化を目指して教育水準の向上を図ろうとしている。ドイツでは、子どもたちの学力不足を国際競争力の危機ととらえて学力向上対策を進めている。このように先進各国において、義務教育は国民経済の成長・発展の基礎をなすものとして、国家的課題とされているのである。
 我が国における義務教育費国庫負担制度は、国が義務教育の水準を維持するとともに、国家・社会の発展のために必要な教育投資を行う責任を果たすために設けられているものである。この制度を廃止して地方にすべて委ねた場合には、国民社会・国民経済の健全な発展を支えるために必要な規模と内容の義務教育が提供されなくなり、国の責任放棄というべき事態となるだろう。

2.義務教育への完全就学と無償制の担保
 この点については、「その12」で述べたとおりである。

3.教職員の人材確保
 この点については、「その13」で述べたとおりである。

4.義務教育の機会均等の保障
 義務教育においては、全国どの地域においても一定の水準が確保されることによって、教育の機会均等が確実に保障されなければならない。財政力に大きな格差のある各地方公共団体に全ての負担を負わせてしまうと、財政力の格差がそのまま義務教育費の支出水準の格差に反映され、その結果地域間で義務教育の教育水準の格差が生じる事態となる。特に児童生徒1人当たりの経費がかさむへき地・離島の学校においては、教育水準の著しい低下をきたすおそれがある。
 昭和25年度にシャウプ勧告を受けて義務教育費国庫負担制度が廃止されたのち、児童1人当たりの教育費で、東京都と茨城県の間で100対53という格差が生じたと記録されている。このような状態を是正するために、教育界や全国知事会からの強い要望を受けて、昭和28年度から改めて現行の義務教育費国庫負担法が制定された経緯がある。
 米国の義務教育費負担制度は、主たる責任を学校設置者である学区(School District)に負わせているが、学区間には著しい財政力の格差があるため、教育水準の均等化を図る上で州からの補助金が重要な役割を果たしている。しかし、依然として学区間の格差は大きく、また州間の義務教育費支出水準の格差もあるため、学区間・州間で義務教育水準の格差が生じている。このような義務教育水準の格差が、学力水準のばらつきに反映されているとの見方もある。
 義務教育費国庫負担制度は、地方公共団体間の財政力格差がそのまま地域間の義務教育水準の格差に転嫁されてしまわないよう、義務教育費財源を地方公共団体間で平準化することにより、義務教育の機会均等を確実に保障する役割を果たしている。この制度を廃止することになれば、地域間において義務教育水準の著しい格差が生じ、国民間に義務教育機会の不均等が生じることになるだろう。
 子どもたちが、たまたま生まれ育った地域の違いによって、受けられる義務教育の水準に格差が生じるようなことは許されない。どこでも、誰でも一定水準の義務教育が無償で受けられるよう、義務教育への支出水準を平準化する働き(平準化機能)を、国庫負担制度は持っているのである。

5.義務教育水準の安定的な確保
 地方財政は景気変動などに左右されやすく、年々の財政状況には大きな変動が起こり得るが、財政状況の変動が義務教育費支出に直接反映されてしまうと、財政の悪化とともに義務教育支出も落ち込むことになり、義務教育の水準が安定的に確保されなくなる。義務教育費においては、教職員の人件費など経常的な経費が大部分を占めているが、このような経費は急な増減が困難な性質のものである。これを無理に削減しようとすると、給与の欠配・遅配、あるいは強引な人員整理などの事態が生じるが、そのような事態は、明治以来各地で幾度となく起きている。
 そのような事態を回避し、地方財政の変動にかかわらず、義務教育の妥当な水準を安定的に確保するためには、義務教育費に充てるべき安定した財源が必要である。
 義務教育費国庫負担制度は、地方財政の時間的な変動がそのまま義務教育水準の不安定化に転化されることがないよう、義務教育費財源を安定化することにより、義務教育の水準を安定的に確保する役割を果たしており、この制度を廃止することになれば、義務教育の水準が不安定化することになると考えられる。
 子どもたちが、たまたま生まれ育った時代に財政状況が悪化していたために、満足な義務教育を受けられなくなるようなことは許されない。いつの時代にあっても、子どもたちが質の高い義務教育を受けられるようにするのが大人の責任であろう。その時々の財政状況に左右されることなく、義務教育への支出水準を安定化する働き(安定化機能)を、国庫負担制度は持っているのである。

6.地方財政の自主性の確保
 すべての国民にひとしく無償の義務教育を提供するため、市町村には小・中学校の設置義務が課されている。したがって、小・中学校教育は市町村にとって法律により義務づけられた義務的事業であり、その事業規模の決定についての市町村の裁量の余地はきわめて小さい。これに要する財政負担の大部分は、毎年度一定額が必要となる教職員給与費であり、その額はきわめて大きい。そのため、義務教育の経費をすべて設置者である市町村に負わせてしまうと、市町村の財政を著しく圧迫することになる。
 大正年間における町村長たちの義務教育費国庫負担増額運動は、義務教育費の重圧から町村財政を解放し、町村財政の自主性を確保することによって真の自治の発展を期したものであった。戦後今日に至るまでの市町村財政の状況の中においても、地方財政の自主性の確保という観点からの義務教育費国庫負担制度の意義はいささかも後退していないといえよう。
 義務教育費国庫負担制度は、義務的経費である義務教育費によって地方財政が圧迫されないよう、国が義務教育のための財源保障を行うことにより、地方財政の健全な状態を維持し、自主性を確保する役割を果たしている。この制度を廃止することになれば、地方が一般財源から支出する義務的経費の比率が高まり、一般財源を他の政策的な支出に充てる余地が縮小する結果、地方財政の自由度は低下し、財政の硬直化を招くことになるだろう。
 したがって、真の意味で地方分権を進めようとするのであれば、義務教育費は全額を国庫負担とすることこそが望ましいはずである。昭和初期、税源移譲で地方に義務教育費を負担させようとする政友会に対し、民政党は義務教育費を全額国庫負担することによって地方財政の自主性を高めようとする政策をとった。全額国庫負担をめざして運動していた全国町村会を始めとして、民意は民政党に軍配を上げ、浜口雄幸内閣のときに半額国庫負担が実現したのであった。義務教育費の国庫負担は、地方自治の実現のために求められたのだということを忘れてはならない。
 地方分権推進法に基づいて設置された地方分権推進委員会の第2次勧告と、それに基づいて閣議決定された「地方分権推進計画」では、「国が一定水準を確保することに責任をもつべき行政分野に関して負担する経常的国庫負担金については、(中略)その対象を生活保護や義務教育等の真に国が義務的に負担を行うべきと考えられる分野に限定していくこととする。なお、経常的国庫負担金については、その負担割合に応じ、毎年度国が確実に負担することとする」(下線筆者)とされていた。義務教育費の国庫負担は、地方分権を推進するために必要だとされたのである。もう一度この原則に立ち返って、三位一体の改革を根本から見直すことが必要である。(つづく)
前川喜平〔(まえかわ・きへい)文部科学省初等中等教育企画課長〕


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