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前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その15)義務教育費に利権はない

「義務教育費に利権はない」

 義務教育費国庫負担金の堅持を訴える文部科学省や与野党の文教関係議員に対して、マスコミからは、「省益」や「利権」のために国庫負担を守ろうとしているなどという、根拠のない非難がしばしば行われている。
 これまでの新聞記事から、アトランダムに拾ってみる。
【平成15年6月19日、日本経済新聞】「文部科学省はこの補助金を通じて、全国の学校を管理してきた。同省はこの権限を失いかねない補助金削減に強く抵抗している。」
【同日、読売新聞】「3兆円近くに上る義務教育費国庫負担金については、自民党の文教族議員らが早くも削減阻止の動きを活発化させている。次期衆院選や来夏の参院選に向け、各業界団体との良好な関係を維持したい議員心理が働き、族議員の『抵抗』が激しくなることが予想される。」
【平成16年11月8日、毎日新聞社説】「文科省が恐れているのは、『権限』の低下、喪失だろう。義務教育費国庫負担金は、金額も大きい(約2兆5000億円)が、文科省が地方の教育行政ににらみを利かす源泉ともなってきた。」
【平成17年5月25日、毎日新聞社説】「既得権益や省益を絡ませてはいけない。地方財政改革といいながら、自らの権限を維持しようという思惑が見え隠れするのでは、住民自治に反する。
 その観点からすれば、今秋までに中央教育審議会で結論を得ることになっている義務教育費8500億円の扱いは、補助金削減、税源移譲が当然である。文科省や自民党文教族の主張は、義務教育には国が責任を持つべきだという論理のもと、地方への関与を継続しようという意図が明白である。」
【平成16年11月19日、東京新聞解説記事】「文部科学省や自民党文教族などは『国の補助金がなくなったら、教育の機会均等が保障できなくなる』として反対を唱えてきた。文科省や文教族の反対の根底には、補助金をやめれば、自らの権限や利権が縮小してしまうことへの恐れもあったに違いない。」
【平成16年11月27日、産経新聞社説】「補助金を通じて地方への影響力を保ちたい中央官庁や自民党族議員らが強く抵抗した…。たとえば、国が半分負担している義務教育費国庫負担金は、地方が求めた8千5百億円について、平成17年度で半分を交付金化し、本格的な税源移譲は中央教育審議会の検討を待って18年度に先送りした。」
【同日、東京新聞解説記事】「省庁が権限を維持するため、利権に連なる族議員の応援を得て抵抗し、結論の先延ばしや補助率引き下げでお茶を濁した…。とりわけ、義務教育の補助金についての結論はその象徴だ。」
【平成17年9月13日、日本経済新聞】「補助金削減と一体で実施される税源移譲の対象はこれまで2兆4千億円に達し、目標達成まであと6千億円。これが実現するかを左右するのが、義務教育費国庫負担金の取り扱いだ。政府・与党は昨年冬の協議で、8千5百億円を削減するとしたが、解釈にあいまいさを残した。
『義務教育は国の仕事』との論理を盾に、文部科学省や文教族議員らが権限縮小につながる補助金削減に抵抗したからだ。」

 こうした記事に出てくる「省益」とか「利権」とか「既得権益」とかいう言葉は、一体何を指しているのだろう。そんなものがあるというなら、具体的に指摘して欲しいものだ。「何があるか知らないが、何かあるはずだ」などという態度は許されない。新聞という公器に書くからには、具体的な証拠を示して欲しい。証拠を示せないような独断は控えていただきたい。
 負担金とは国が法律上の義務として支出するものだ。「あちらには出すが、こちらには出しません」という裁量の余地はない。そこが補助金とは決定的に違うところだ。地方からすれば、国に頭を下げなければ貰えないのが補助金で、黙っていても来るのが負担金である。補助金には、国がどの自治体のどの事業にどれだけ出すかという「個所付け」が伴うが、負担金はどの自治体にも公平に渡されるので個所付けは起こらない。国が地方をコントロールする力の源泉となっているのは補助金であって、負担金ではない。
 平成17年9月30日の衆議院予算委員会で、与謝野馨自民党政調会長は「目の前を通り過ぎていくだけのお金を持っていて何か楽しいことがあるのか…」と質問した。中山文部科学大臣はそれに答えて「確かに、おっしゃるように、文部省の目の前を素通りしていくようなこの国庫負担のお金、文部省にとって別に欲しいわけでも何でもありませんが、しかし、」と言って、このお金が目の前を通っていくことによって教育の機会均等が担保されているのだと答弁した。国庫負担金とは「目の前を素通りするお金」なのだ。そこに「族議員の利権」だとか「役所の省益」だとかいうものは無い。

 中教審義務教育特別部会では、義務教育費国庫負担金が地方の教育の自由を縛っているとか弊害をもたらしているとかいう地方6団体側委員の主張に対し、多くの委員が事実に基づいて反論した。
 小川正人委員(東京大学教授)「負担金制度の廃止でこのような教育行政の自由が拡大するということで、(中略)いろいろ負担金制度が廃止になったときに、こうした改善ができると書いてありますけれども、私は、この(中略)ところを幾ら読んでも、(中略)負担金制度、今の制度のもとでもやれることだし、実際、いろいろな取り組みをされてきているということなので、やはり私は負担金制度を廃止することによって、新たに教育行政の自由が拡大するということの意味というのがよくわからないです。もしも今地方自治体の教育行政において地方が拘束性を感じているのであれば、むしろ負担金制度の問題よりも、国が定めているナショナルミニマムとか、教育行政の運営に関わるさまざまな法令上の規定の方がむしろ問題であって、そちらの方の問題として議論すべきではないのか」(5月25日特別部会)
 片山善博委員(鳥取県知事)「今の総額裁量制の中で、そんなに足かせ、手かせになっているものはないなという感じがします。法令上定められているものはもちろんありますが、これは法令の問題ですから。でも、義務教育費国庫負担金であるが故に、何か制約を受けているというのは、そんなにないんだろうと思います。総額裁量制で随分改善されました。私は今はそんなにありません。もしあったら、総額裁量制を改良したらいいと思うんです」(同上)
「義務教育費国庫負担金だけを見れば、やっぱりそれは何らかの弊害はあるんです。国からお金をもらうんですから、資料を出すとか、当然あるんです。でもこれを他の分野の国庫支出金と比べてみたら、(中略)弊害の度合いはおそらくは低い方なんです。弊害の度合いの高いものというのは、国の方の裁量性が極めて強いもの、恣意性の強いもの。(中略)日参してもらいに行かなければいけないもの。政治家を頼んで、圧力をかけてもらって、箇所付けをしてもらわなければいけないもの。そういう政策的補助とか、奨励補助とか、そういうものの弊害のほうが圧倒的に大きいわけです。それらと比べたら、この義務教育費国庫負担金の弊害なんていうのは微々たるものと言ってもいいと私は思います。(中略)県教委は上からの細かな指示・指導がなければ現場は動かない、動けないと書いていますけれど、私のところの鳥取県教育委員会の名誉のために言っておきますけど、そんなことはありません。本当に自主的に動けます」(6月19日特別部会)
 苅谷委員は、「義務教育費国庫負担金制度と一般財源化された場合との比較」という表をつくって提出した。この資料は、総額裁量制による国庫負担制度と一般財源化とを、地方の自由度があるかどうかという観点から、学級編制、教職員配置、教職員給与、教育内容、教育方法などの論点ごとに比較したものだった。例えば、学級編制の弾力化、教員以外の職種への財源の転用、外部人材の活用、給与引き下げによる教員増、小学校英語教育などの特色ある教育などは、いずれの制度においても地方の自由度は変わらない。各教科の授業時数、学校週5日制、6・3制の区切りなどは、いずれの制度においても同じように国の法令に縛られている。給与単価や定数の算定といった地方の事務は、国庫負担金の算定にも地方交付税の算定にも必要なものであり、一般財源化で軽減されるものではない。両者の間で明らかな違いがあるのは、「教職員給与以外への転用」(一般財源では可能だが、国庫負担金では不可能)「人件費抑制へのインセンティブ」(一般財源では他の経費への活用を目的としたインセンティブがあるが、国庫負担金ではそれがない)の2点であった。
 地方6団体側委員は、義務教育費国庫負担金の「弊害」として、学級編制、教員の配置、教員の処遇、カリキュラム編成における地域の創意工夫を阻害しているとか、地方の事務負担が過大だとか主張したが、それらは根拠のないものであることが、苅谷委員の事実に基づく論証によって明らかにされた。
 苅谷委員の結論は「一般財源化したことによって得られるのは、まさに減らす自由だけなわけです」(10月3日)ということであった。
 義務教育のナショナル・スダンダードを維持するために、国が地方の自由をを縛ったり、地方に口出ししたりする権限があることは事実である。それは標準法や学習指導要領などの法令に基づくものだ。国庫負担制度が文部科学省に権限を与えているわけではない。見直しが必要だとすれば、それらの法令であって国庫負担金ではないのだ。

 義務教育費国庫負担金の堅持を求める文教関係議員を、「既得権益」だとか「利権」だとかいうもののために動いているかのように新聞が書くのは、私に言わせれば、無礼千万な話である。
 遠山敦子元文部科学大臣は、その著書の中でこう書いておられる。(「こう変わる学校 こう変わる大学」講談社二〇〇四年)
「保利耕輔党文教制度調査会長が、歴代文部科学大臣の会議などでもらされた、『われわれは抵抗勢力でも、族議員でもない、教育を支援してもなんら利はなく、ただ、教育の重要性にかんがみ、この制度の堅持を訴えているのだ』という言葉を忘れてはならない。政策立案者の志の高さが問われている」
 義務教育費国庫負担金は「票」や「金」には結びつかない。純粋に義務教育が大切だと信じる人だけがこれを本気で守ろうとしているのだ。
 中でもその真剣さにおいて際だっているのは保利耕輔氏である。
 保利氏は、文部大臣だけでなく自治大臣も経験された方だ。総務省(旧自治省)は当初さかんに保利氏を味方につけようと工作した。我々が氏のもとにうかがうたびに「総務省はこう言っている。文部科学省はどう反論するのだ」と説明を求められた。生半可な説明では決して納得されなかった。氏は、両省の言い分をとことん聞き取り、熟慮に熟慮を重ねた末、義務教育費国庫負担制度は堅持する必要があるという結論に達せられたのだ。義務教育においては「教育の機会均等」は至上命題だ。然るに義務教育費国庫負担金を税源移譲に回せば、都道府県ごとの税収には大きな格差がでる。文部科学省の試算では、国庫負担金に比べて税収が上回るのが七都府県、それ以外の四〇道県では財源不足になる。地方交付税が不足を補填するから大丈夫だと総務省は言うが、地方交付税は削減の一途を辿っているではないか。そのような状態では、義務教育費の財源を交付税で保障することはできないはずだ。そうなれば、義務教育の機会均等は保障できなくなる。…保利氏はそのように結論を出されたのだと思う。
 義務教育費国庫負担金の必要性について確信された保利氏は、以後断固とした姿勢を貫いておられる。自民党の最高意思決定機関である総務会でも幾度となく発言された。自ら「義務教育費国庫負担の堅持を訴える」と題した冊子も作られ、各方面に配られた。義務教育費国庫負担制度の堅持を訴える党文教の文書に反論する兵庫県知事の書簡を受け取った際には、自ら手書きで再反論の手紙を認められた。その熱意には本当に頭の下がる思いである。
 総選挙後、文教制度調査会長の職を保利氏から引き継がれた大島理森氏も、断固とした態度で義務教育費国庫負担制度を守ろうとしておられる。大島氏も信念で行動しておられるのだ。断じて「利権」などというもののために動いておられるのではない。
 公明党では、池坊保子衆議院議員と斉藤鉄夫衆議院議員が一貫して義務教育費国庫負担金の堅持のために行動しておられる。平成17年3月には、義務教育費国庫負担制度検討小委員会(池坊保子委員長)が設置された。この小委員会は、ほぼ毎週会合して有識者からのヒアリングや討議を行っているが、神崎代表、浜四津代表代行、坂口副代表、草川副代表、太田幹事長代行など、公明党の最高幹部もしばしば出席し、活発な意見交換を行っている。5月25日には「子どもたちの声を大切に」と題する中間報告(委員長中間レポート)をまとめ、「新たな少人数教育システム」の実現やすべての児童生徒が自然体験活動、職場体験活動、文化芸術体験活動の三つの体験活動に参加できる制度の確立を提案するとともに、義務教育費国庫負担金の一般財源化については、義務教育水準の格差を助長し、地方財政を圧迫するとして反対を表明している。

 平成17年6月9日号の週刊新潮に奇っ怪な記事が載った。タイトルは「次は『文科省役人』のクビを狙う『小泉』」。この記事は郵政民営化法案に反対の動きをした総務省幹部の更迭人事を紹介した上で、「文科省関係者」の言葉として「次の生け贄」は文部科学省の結城事務次官と銭谷初等中等教育局長だと書いている。この二人が総理に呼ばれて、直接「ある注意」を受けたのだという。「総務省幹部が飛ばされたときと全く同じ手法なんです」と「文科省関係者」は言う。次に「官邸関係者」の言葉が引用されている。
「郵政民営化に目を奪われていますが、国と地方の税財政関係を見直す、いわゆる三位一体改革も小泉政策の大きな柱です。その中には、義務教育費の国庫負担制度改革も含まれている。独自財源を増やすことを狙って小泉改革に賛成する地方と、自らの権益を失うことに繋がるため制度維持を狙う文教族・文科省が対立しています。小泉は、結城と銭谷を反対派の象徴と見ているんです」(官邸関係者)
 そしてこの記事は、こう締め括られている。
「この“反対派”の二人に小泉首相はこう言い放った。『もうこれ以上、反対しないでくれ。分かってるね』二人は震え上がったという。」
 結城次官と銭谷局長の顔写真には「霞ヶ関は戦々兢々」というキャプションがついている。(ちなみに、文部科学省は現在霞ヶ関の庁舎が改築中のため、丸の内に仮庁舎を置いている)
 この記事は完全な捏造である。誰よりもまず小泉総理に対する中傷である。官邸に呼ばれた事実もないのに「震え上がった」などと嘘を書かれた次官と局長も堪ったものではない。週刊新潮がこんなデタラメを記事にする雑誌だとは知らなかった。
 一体誰がこんな記事を週刊新潮に書かせたのだろう。義務教育費国庫負担金の廃止・削減を狙う「誰か」であることは間違いない。極めて卑劣な行為である。
 この記事が出てから間もない6月5日の日曜日、中教審義務教育特別部会は異例の日曜セッションを青山の公立学校共済施設で開いた。その会議終了後、会場から地下鉄の駅へ向かっていた私は、総務省自治財政局の務台調整課長が、見城美枝子委員に路上で話しかけているところに出くわした。

 務台課長は、見城委員が義務教育費国庫負担金の廃止に賛成するよう説得を試みていた。私はその話に加わり、務台課長の主張に反論した。しばらく議論をしたあとで、務台氏が私に向けて最後に投げつけた言葉がこれだ。「前川さん、そんなこと言ってると、クビ飛ぶよ」
 クビと引き換えに義務教育が守れるなら本望である。週刊新潮は、文科省が「権益」のために制度を持しようとしていると書いたが、義務教育費に「権益」などというものは無い。仮にそんなものがあったとして、「権益」にしがみつく人間が「クビ」を賭けるようなまねをするだろうか。(つづく)

前川喜平〔(まえかわ・きへい)文部科学省初等中等教育企画課長〕


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