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前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その3)近未来小説「義務教育崩壊!」

 義務教育費国庫負担金を、三位一体改革の補助金削減の対象にするのは間違っている。

 義務教育費国庫負担制度が廃止されてしまったら、何が起こるのだろう。それが具体的に見えてこないために、この問題はずるずると財政論先行でここまで来てしまったのだ。目に見える形でそれを訴えてこなかった文部科学省にも責任があるのだろう。
 義務教育費国庫負担金がなくなったら教育の現場はどうなるか。全国的な財源不足に起因する教育条件の低下と自治体間の財政力格差に起因する教育水準の地域間格差が生じるであろうことは容易に予想される。正確にシミュレーションすることは難しいが、今から5年後2010年頃の状況を、いくつかの仮定を置いて想定することはできるだろう。
 当面増税ができる環境にはないと考えられるから、国税・地方税の総税収額は増えないと仮定できる。地方交付税交付金総額は法定税率による税収規模である12兆円まで削減されると仮定することも合理性があるだろう。地方財政の累積赤字がさらに増大することも確実だ。赤字地方債は抑制せざるを得ないだろう。社会保障費は増えることはあっても減ることは考えられない。地方公務員の総定員については、平成17年3月に総務省が通知した新たな「地方行革指針」で平成21年度までの5年間で4.6%を上回る純減を行えという強力な指導が行われているから、各都道府県がそれに従った場合には、教職員定数も大幅に削減される可能性が高い。義務教育費国庫負担金を一般財源化した場合の予算規模の縮小や自治体間の格差拡大については、すでに一般財源化された教材費や旅費の予算措置状況から類推できる。

 「義務教育崩壊!」。私が書きたいと思っている近未来小説だ。第一章の書き出しは、200X年3月下旬の参議院本会議。義務教育費国庫負担法廃止法案が可決成立する場面である。
「起立多数。よって本件は可決されました」議長の声が響く。文部科学大臣がひな壇から議場の外へ出てくる。大臣を待っていた文部科学事務次官以下の幹部にまじって、義務教育費国庫負担制度の所管課長である後山悲平財務課長が佇立している。疲れ切った表情で赤絨毯の上を歩き始めた大臣に、後山は一つの封筒を差し出す。表には黒々と「辞表」と書いてある。……
 国庫負担法の廃止法案成立を待っていたように、各県では総務省からの指令に基づき、財政課を中心に「義務教育費合理化5か年計画」の策定が始まった。その計画では、教職員総人件費の削減目標を12%と置いた。その内訳は、教職員給与の一律引き下げによる削減分3.3%、児童生徒の減少に伴う教職員定数の自然減分1.2%、学校統合の推進による合理化分1.5%、中学校の学級編制基準を45人に引き上げることによる削減分1.7%、少人数教育の定数加配の削減分1.6%、いじめ・不登校対策の定数加配の削減分1.4%、常勤教員の非常勤教員への振り替えによる削減分0.8%、音楽と体育の授業の外部委託による削減分0.5%である。この合理化計画に沿って、地方財政計画に算入する義務教育費の基準財政需要額は毎年度着実に縮小することとされた。
 その結果、5年後には次のような状況が各地域に見られるようになった。
 東北地方のある県では、教員採用試験に応募者が集まらず、競争率が0.94倍になったため、急遽退職教員の中から再任用を希望するものを募集することになった。かたや、関東地方のある県では、総務省の指令に反して教員給与を警察官並みに引き上げた結果、教員採用試験の競争率が23.6倍という狭き門になった。一方、関西地方のある県では、教員給与を総務省の指令以上に一律6%引き下げた結果、教員の中途退職者が急増したが、退職者の約3割は私立学校に引き抜かれた優秀教員だった。
 中部地方のある県では、強引な学校統合によりスクールバスで片道1時間以上の通学を強いられる子どもが続出し、社会問題化した。九州のある県では、いくつかの離島の子どもたちが一つの島の寄宿舎に集められ、家庭から離れて学校生活を送ることになった。
 関東地方のある県で、PTAが中学生全員にアンケート調査したところ、「授業についていけない」と回答した者の割合が5年間で4.2%から9.4%へと上昇した。四国のある県では小学校1年生の学級崩壊を抱える学校が1.3%から3.8%へと上昇した。全国的に中学生の不登校は増え、不登校率は2.2%から4.7%に上昇した。
 北海道のある中学校では、24人いた教員のうち7人が5年の間に非常勤講師に振りかえられたため、部活指導の教員が確保できなくなり、吹奏楽部とバスケット部が廃止された。中国地方のある町では、小学校の体育の授業中に起きた事故について授業受託業者が責任を否定したため、町が業者を相手取って訴訟を起こした。公立小中学校でPTA負担による教員の配置が全国的に広まり、PTA会費の値上げが相次いだ。この5年の間に、各地で待遇改善を求める教職員による違法ストが頻発し、ストによる懲戒処分が累計で4,631件にのぼった。
 文部科学省が行った保護者の意識調査によると、「公立学校は信頼できる」と回答した保護者の割合は、5年の間に56%から18%に低下した。私立学校在籍者の割合は急速に増加し、5年の間に全国の私立学校在籍率は小学校で18%、中学校で37%まで上昇した。ある銀行の調査によると、公立中学校の生徒の保護者と私立中学校の生徒の保護者の年収を比較すると、1対2.7という開きがあることがわかった。この銀行は新たに「私立小中学校進学ローン」という商品を開発した。東北地方のある県では5年間で38校もの私立中学校が新たに開校した。
 子どもを学校ではなく学習塾に通わせる親が激増し、学校教育法から就学義務の規定を削除するよう求める運動を起こした。また、私立学校や学習塾の授業料にかかる経費を税額控除すべきであるとの税制改正要望が各地から出されるようになり、与党の税制調査会でも検討課題となった。
 四国地方のある町で覚醒剤の密売を副業にしていたサラリーマンが逮捕されたが、その男は犯罪の動機を聞かれて「子どもを私立小学校に入れる金がほしかった」と語った。
 中国地方のある県の知事は、義務教育費のさらなる削減を目的として、私立小・中学校授業料に対する無利子貸与の奨学金を創設し、私立学校への就学を奨励する政策を実施した。その結果、公立学校入学者は減少し、教職員給与費をさらに2割減らすことに成功した。
 国際教育到達度評価学会(IEA)の国際学力調査で、日本は大きく順位を落としたが、その原因は地方の公立学校生徒の学力が顕著に低下したためであると分析された。公立学校生徒の学力では、中国地方の某県と九州地方の某県とが最下位争いをしていることが明らかになった。都市部の私立学校生徒の学力は逆に大きく上昇しており、学力の二極分化の傾向に拍車がかかっていることも実証された。新聞各紙は「崩壊進む義務教育」などという見出しで大きく報じた。
 この5年間、日本PTA全国協議会、全国市町村教育委員会連合会、全国連合小学校長会、全日本中学校長会などの教育関係22団体は、義務教育費国庫負担制度の復活を求めてねばり強い運動を続けていたが、このIEA調査の結果分析をきっかけに新聞やテレビの論調が大きく変化した。それまで「教育は地方と民間に任せるべきだ」と論じていたある有力全国紙が、「国は義務教育の財源を保障せよ」という社説を掲げ、学力向上のため、公立学校教職員の質と量を確保できるだけの安定財源を国庫負担で保障すべきだと主張した。与野党の中でも義務教育費の全額国庫負担制度を確立すべきとの声が大きくなっていった。地方6団体のうち全国市長会が、教職員人事権、教職員定数設定権、教職員給与負担を併せて市に移譲せよと要求しつつ、給与費財源については国が全額を国庫負担金で保障し、その使い方については市の裁量に委ねよとの新たな要求を国に対して提出した。
 おりから行われた総選挙の結果、義務教育費の全額国庫負担を主張する政党が全議席の過半数を獲得するに至り、新内閣は義務教育費の全額を国が負担する「義務教育費国庫負担法案」を早急に作成して国会に提出することになった。
 文部科学省を辞職し、郷里に戻って先祖代々の林業を細々と営んでいた後山悲平は、ある日突然、新内閣で新たに就任した文部科学大臣からの電話を受けた。大臣は後山に言った。
「新しい義務教育費国庫負担法案を作れるのは君しかいない。ぜひ文部科学省に帰ってきてくれ」
 こうして後山がもとの財務課長に復職するところで、この近未来小説は終わる。
 以上はフィクションであり、実在の人物や組織とは関係なく、数字も架空のものであることをお断りしておく。(つづく)
前川喜平〔(まえかわ・きへい)文部科学省初等中等教育企画課長〕


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